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CableCar |
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2011年3月9日 (水)ラスベガス〜サンフランシスコ移動日。
5:30起床 ラジオ体操して朝食 7:00チェックアウトしホテルパリスのツァーロビーでシャトルバスを待つ。送迎バスは頻繁に発着していて空港からの客を降し空港行きの客を入替乗せて直ぐ出発する。二人分13jとチップ⇒15j支払う。
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今日のフライトはラスベガスからロスアンゼルス空港へ、ロス空港でサンフランコ行きに乗り換える。
9:15分発のアメリカン航空AA793便ロスアンゼルス行きの搭乗手続きをして機内持ち込み荷物を持ちセキュリティチェック場へ。そこでちょっとしたトラブルが発生。 X線検査でバッグの中に不審物があると係官に指摘され、カバンを開けさせられる。 何も不審物などないと思っていたので心配はしなかったが、これでOKとおもいきや、係官は納得せず再X線検査される。 モニターでカバンの中を食い入るように見つめている。 そしてもう一度カバンを開けさせられる。 先ほどより更に念入りにすみからすみまで調べていく。 危険物など持ち込む分けがないのにと思って見ていると、箸入れの中に果物ナイフが入っていた。そんな小さなナイフで何が出来るわけではないと思うがナイフはナイフなのでと係官は笑顔を見せながら小さなナイフを没収していった。 |
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ラスベガス空港ロビー・スロットマシンが並ぶ |
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やっと無罪放免されて、搭乗ゲートに向かう。
ラスベガス〜ロスアンゼルスは僅か1:15の飛行で10:30分ロス空港に到着。 同じゲートで12:00発のAA1936 便サンフランシスコ行きに乗換える。サンフランシスコ国際空港には13:30分到着。 市内行き電車バートに乗ってサンフランシスコ・パウエルストリート駅で下車する。 |
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サンフランシスコ国際空港〜市内中心のパウエルストリートまでの電車”バート” |
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地図を拡げホテルに向かう。パウエルストリートはケーブルカーの始発駅でケーブルカーの軌道沿いに坂を上がり左に折れるとホテル・ニッコーサンフランシスコはすぐだった。 ここだけはブッキング社でなく楽天トラベルで予約していた。
チェックインする時、宿泊数(3日を4日に)と部屋数(1部屋を2部屋に)が間違えて予約されている。 初めて利用した楽天トラベルの仕事ぶりはこんなものかと思った。 フロントの女性(日本人)が直ぐに理解してくれて気持ちよく希望通りに変更してくれた。 部屋は2020号、高層階でとても見晴らしのいい部屋、窓からサンフランシスコの街が一望できる。 |
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着替えて早速街に出てみる。
日本人街があるそうで、地図で見ると歩いていけそうな距離。 サンフランシスコ観光の最初はそこに決め歩き始める。 |
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街へ出ると名物のケーブルカーが行き交ってサンフランシスコに来た実感し胸が高鳴る。 しばらく歩いて交差点で信号待ちをしていると白人中年の酔っ払いが寄ってくる。 さかんに何か話しかけながら手を差し出してくる。物乞いだった。アメリカ人が酔っているとはいえアジア人に物乞いする姿は、豊かさの象徴だったアメリカも変わったもの。 無視して歩いていくと次の信号にも同じような物乞いがいる。反対側にもあっちこっちいっぱいだ。その光景に少し慣れてきたが、この辺は物乞いの集まる路地が多い地域のようで足早に通りすぎて日本人街に急ぐ。 |
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30分位歩いただろうか、遠い視線の先に五重塔らしき建物が見えてくる。 近づいて見るとその石の五重の塔は日本にはない中国的な建造物だった。 日本人街にはホテル・カブキとか近鉄名店街などあり入ってみる。 日本食レストランやみやげ物屋さん本屋さんなど日本の品を扱う店が軒を連ねて、客層はアジア人が多いが白人もいて、なかなか繁盛している様子だ。 |
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その中のレストランでカツ丼とお寿司を買って行く。 途中の酒屋さんでカリフォルニアワインも買って今夜は部屋で日本食の夕食だ。 |
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日本人街・近鉄のれん街、石の五重塔 | PageTop | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本人街からホテルへ帰る途中に所々信号待ちの場所には物乞いがたむろしていたがすっかりそれにも慣れ危険や怖い感じもなくホテルに無事戻る。 |
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ホテルの部屋からはサンフランシスコの夜景が見える。今日歩いた日本人街はドームの建物のずっと先かな。 今日の歩行数17271歩 |
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8:00起床 2階レストランはスタッフも客も日本人で料理も日本食なので日本のホテルにいるような感じだ。
9:00ホテル横の坂道を下りパウエル通りへ。チケット売場でケーブルカー一日券「ミュニ・パスポート」を購入する。パウエル〜メイソン線のケーブルカー乗り場はすでに行列が出来ている。
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列の後ろについて待つと、間もなく坂の上からケーブルカーが到着。 ここは発着場所なので到着した車両を前後二人の係員が押して回転させ向きを変える。 乗車が始ると並んでいる列の半分くらいが乗り込み発車。 乗れたのは次の車両で車内の椅子席に掛ける。まもなく発車。 |
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ミュニ・パスポート | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ケーブルカーは車両の半分が窓のない外向きの座席になっていて、あとの半分は屋根付きの向かい席になってる。後ろの屋根付きの方に座る。天井はクラシックなランプが付き椅子は木製で相当な年代物だ。「ちんちん」とベルを響かせ発車するとすぐに坂の町サンフランシスコらしく急坂を力強くぐんぐん登っていく。
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いくつか停車場で乗客を乗せながら坂のてっぺんを登りきると、今度は下り坂に変わり正面にサンフランシスコの海が見え始める。これが最もサンフランシスコらしい景色なのか。
終点のフィッシャーマンズワーフに到着。 |
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ケーブルカーを降りて海に向かって歩き始めると、二人連れの女性から関西便で挨拶される。 一緒に港に向かう。 アルカトラズ島のフェリー乗り場へ行く為関西の方達と別れ、急いでピア33埠頭に向かう。 サンフランシスコの人気スポットらしくピア33埠頭のチケット当日券売場は長蛇の列だ。インターネットで予約していたので予約窓口にいくとそちらはがらがらで直ぐにチケット発券してもらえて船着場に並んで船を待つ。
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アルカトラズ島行きの船はピストン輸送で、船が到着し島からの乗客を降ろすとすぐに乗船が始まる。こんなに沢山の人が全部乗れるのだろうかという感じだが、あっという間に全員が乗り込んで、窓際でテーブル付きの席に座れた。乗船が終わると船は岸壁を離れ船首を変えて、沖のかなたのアルカトラズ島に向かう。
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アルカトラズ島に上陸する時に、40前後の日本人女性から話しかけられ旅の話をしながら島に入る。アルカトラス島はフィッシャーマンズワーフの沖2.4qにある島で1860年頃〜1963年まで刑務所として使用され監獄島とも呼ばれている。 |
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島に上陸すると広場に乗客全員が集められ、中央の台に乗った制服の女性から見学上の注意や説明がある。島は40bの崖状で周りの海は水温が低く潮の流れがとても速いので脱獄不可能な監獄として刑の重い囚人が収監されていた。ここから脱獄を企てた囚人は30人以上いるが脱出を確認された人は誰もいないそうだ。
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坂道を登り監獄入口で日本語のオーディオガイドを借り音声ガイドに従って見学していく。
暗黒街の帝王アルカポネなどが収監されたいた牢獄、懲罰牢、シャワールーム、面会室、食堂、運動場など順路にしたがい見ていくのだが今も人がいる気配のする監獄内は当時のままで生々しい。 |
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日本語オーディオガイド |
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オーディオガイドの説明では相当厳しい収監生活のようなのだが、以前見学した網走刑務所は冬は寒さが厳しく−20℃以下になることも多く、衣服も部屋もとても粗末なもので、氷点下20℃以下になる酷寒に耐えられるものでなく、まだアルカトラズ監獄の方が余程人権に配慮されていると感じた。 |
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タイムズスクェアと呼ばれた通路 |
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監獄の庭からサンフランシスコの町が霧にけむって見え、囚人達もいろいろな思いを胸にもって眺めたことだろう。 |
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帰りの船の時間が来たので坂道を下って到着した船の乗客と入れ替わりに乗船してフィッシャーマンズワーフのピア33埠頭に戻る。
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ピア33からフィッシャーマンズワーフを散策しているとさっき島で会った日本人女性に再会する。一人旅なので注意して旅してくださいと言い別れる。
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フィッシャーマンンズワーフからサンフランシスコのランドマーク ゴールデンブリッジに行く為28番バスの出るチェスナット通りとラグナ通りの交差点を探し歩く。
今日の歩行数 7064歩
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ゴールデンブリッジへ⇒ |
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